今日も散歩

今日も大学周りを散歩しました.で,またライトが追っかけてこないか,ドキドキしながら見つて歩いてたんです.残念ながら,今日は追っかけてこなかったんですがね.それで,見てしまったんです.
夏と言えば怪談,怪談といえば幽霊,幽霊といえば火の玉です(ちと無理な展開か).そう,火の玉を見てしまったんです.宙をふらふら揺れてる赤いアレです.
で,ヤバ,逃げなきゃとか思ったら...なんかおかしいんですよ.それで,歩きながらじっと見つめていたら,だんだんと近づいてくるんですね.でも,常に視界の真ん中で漂ってるから,何かが変だと思ったんです.
そしたら,気づいてしまいました.私が見た火の玉は,まぶしい光をずっと見つめてると視界に残る残像だったんです.ライトが強烈だったこと,オレンジ色だったこと,長く見つめながら歩いていたこと,深夜で周りが真っ暗だったことと条件が重なったがために火の玉に見えてしまったみたいです.
それにしても凄いのは,本当に宙に漂ってるように見えるんですよ.3次元空間における人間の物の認識のしかたって,遠近法だけでなくて,動いてるときに視界における物の位置のずれ方にも拠ると思いました.どういうことかというと,動きながら物を見ているとき,近いものほど視界内で位置が大きくずれて,遠くのものほど視界内での位置が小さくずれますよね.で,大きくずれるものほど近くにある,小さくずれるものほど遠くにあるって認識するんだと思います.さらに,小さくずれるものの奥に大きくずれるものがあると,近くにあるように見えるんです.まあ,気になる方は自分で実験してみてください.
で,そのライトの残像がずっと視点の中央に存在して,自分が動いてるから背景は動くんですよ.で,自分の動きと視線の動きから,あたかもそこに残像が宙に漂って見えるんです.びっくり!!
残像がオレンジ色をして,炎みたいにゆらゆらと揺れていたために,本当に火の玉に見えました.いやー,怖かった.
(追記)
赤ん坊のころに,脳は焦点を合わせる機能を獲得し,その後,視線を合わせた物を追いかける機能を獲得するそうです.動きというのは自分と相手との相対的なものでしかありません.これは,何もない空間の中では,自分が止まっていて相手が動いていることと,自分が動いていて相手が止まっていることを,区別することができないということをから由来します.ですから,動いているものに視線を合わせて,それを追いかけることができるということは,止まっているものに視線を合わせたとき,自分が動いても視線を合わせ続けることができるということでもあります.
で,動いているものを視線で追い続けることができるということは,人間の脳は,視線を合わせたものを見るときに,それぞれの目の向きや首の向きを完璧にコントロールできていることになります.これは憶測に過ぎませんが,脳は動いているもののその後の位置を予測しながら視線をコントロールしていると思います.これは,たとえば道端で車がものすごい速さで通り過ぎても,追っかけることができますよね.そのとき,車の速さのベクトルとかを考えて,首の向きを変えますか? 違うと思います.無意識で,見えていようがいまいが,勝手に首の向きが変わると思います.まさにこれが,予測しているのではないか考える理由です(ちと無理があるか?).で,先ほどの動きの相対性に当てはめると,歩きながら物を見続けるとき,自分の動きと相手の位置から次の一瞬の位置を脳は予測し,視線をコントロールしていると考えられます.
それで,光の残像に視線を合わせたとします.このとき,自分が前に歩くと,脳は光の残像は近づくだろうと予測して視線をコントロールします.光の残像は,現実には存在しないものなので近づくはずがないのですが,常に視線の中央に存在するため,光の残像が予測した先に見えてしまうのです.そうすると,もう,そこにあたかもあるかのように,自分が動けば動くほど,脳がコントロールした視線によって,あたかもそこにあるかのように感じてしまうわけです.
これが面白いところは,脳が作り出したコントロールによって,脳が惑わされているということかな? まあ,いろいろ個人的な仮説が混じってるだけに信憑性は怪しいけど,脳って不思議だねえ.