今の職場に配属されて半年がたちました

SIerに就職したものの、配属された部署は世間一般で言うところのSIのような業務は少なく、研究開発の色が濃い場所で、しかも割り振り先のチームは、調査や検証が主な作業というところだ。
この半年間で行ったことといえば、もっぱらソースコードを読みふけり、その過程で得られた知見をまとめて報告書として作成するということばかりだった。
そんな前提がありつつ、ものすごく当たり前のことを、自戒の意味を込めてまとめてみた。
今まで書いてきた主な報告書は、調査結果をまとめた報告書である。上司やトレーナはそれを読み、何らかの判断を下す。だから、報告書には、読む人が何らかの判断を下せるための情報が書かれている必要がある。
逆に、判断に必要のない情報は、盛り込む必要はない。むしろ、盛り込むだけ罪になる。
余計な情報を盛り込むことは、それだけ報告書の分量が増し、読む人に余計な時間を使わせることになる。それが上司だった場合、上司の稼動は自分の稼動よりも遥かに高いうえ、分量の増量による自分の稼動の増加に、それを読む上司の稼動の増加と、会社にとって利益となることはない。なので、判断に必要な情報さえ盛り込まれていれば十分で、それ以上の情報を盛り込むことは、罪である。
ユーザーイリュージョンという本には、「情報を捨てることにコストがかかる」と書かれていた。逆に言うと、「情報を捨てることに価値がある」とも読み取れる。どういうことかというと、情報を捨てることにコストがかかると言うことは、捨てた結果残ったものには、捨てるという行為で消費したコストだけの価値が備わっているということになり、捨てるという行為はそれだけの価値を産む行為ということになる。
こう考えると、報告書を作成するという本当の意味は、情報を生み出すことで価値を生み出すのではなく、莫大な情報のほとんどを捨て去ることで価値を生み出すということになる。そして、価値の高い報告書とは、ほとんどの情報を捨て去った報告書ということになる。
今までの私は、報告書に如何に知見を盛り込むかばかりを考え、情報を捨てるという行為に報告書の価値を下げるのではないか、しいては自分の価値を下げるのではないかという恐怖心のようなものを覚えていた。
だけど、これからは情報を捨てることが報告書の価値を上げ、しいては自分の価値を上げるということを常に心がけて、報告書を作成していきたい。
以上、酔っ払いのたわごとでした。